「経営者として、指導者として、バスケットとともに生きる」株式会社NKS-405 代表取締役 桑畑尚弥

2017.06.30

「経営者として、指導者として、バスケットとともに生きる」株式会社NKS-405 代表取締役 桑畑尚弥の写真

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大阪・北堀江にあるバスケットボールショップ「NKS-405」の店長でありながら、派手な色使いと大胆なデザインが大人気のオリジナルウェアのデザインも自ら手掛ける桑畑尚弥氏。沖縄県出身の29歳。昨年代表取締役に就任し、忙しく動き回るショップ経営の傍ら、小中学生を対象としたバスケットボールチームの指導者としての顔も併せ持つ桑畑氏の素顔に迫りました。

 

 

――最初に、桑畑さんはいつ頃からバスケットボールを始められたのですか

元々は小学2年生から始めたのですが、同時期に父の勧めでゴルフも始めました。同じ学年の宮里藍ちゃんは当時から上手で、女の子に負けたくないと思ってしまい4年生でゴルフは辞めて本格的にバスケ部に戻りました。

中学では、8歳上の姉が当時お付き合いしていた方が強い高校の有名選手で、そういう人がいつも身近にいたことや、2年生の時に顧問だったラグビー経験者の監督から基礎体力をつけることの重要性やスポーツに取り組む姿勢などスポーツ選手としてのあるべき姿を教えていただいたことが、飽き性だった僕がバスケを続けられた要因だったと感じます。

高校でもバスケをしようと思ったのは、中学最後の試合に僕のファールが原因で負けてしまった事が大きいです。その試合に出ていたメンバーは僕以外やめてしまった。自分のせいで負けたあの試合がなかったら、今までバスケは続けていなかったかもしれないというくらい印象に残っている出来事です。

 

 

――高校では強いチームでプレーすることを目指して校区外の学校に進学されたそうですね。強豪校のメンバーとして高いレベルを体感し、沖縄の絶大なバスケットボール人気も身を以て体験されたとか

入学して最初の大会で中学時に全国制覇したメンバーがいる高校に地区大会決勝であたり、チームは残り11秒で逆転優勝しました。7万人の観客が集まる沖縄高校バスケの“聖地”(沖縄県総合体育館)のコートにメンバーとして立つことが出来たし、その年のチームはインターハイでベスト8となり、全国から集まった強いチームのレベルを肌で感じることが出来たのも貴重な経験でした。

当時はプロがなかったのでバスケが盛んな沖縄では高校バスケの注目度がかなり高かったんです。サインを頼まれたり隠し撮りをされたり、自分の価値が5倍くらい上がっちゃうような(笑)。沖縄が他地域よりもbjリーグの人気がすごいのは、そういった高校バスケの基盤があるからだと思います。

 

 

――プレーヤーとして活躍していた高校時代に中学校のコーチを始めるようになったそうですが、どういった経緯からコーチをすることになったのですか

3年生の夏に、監督の後輩がコーチをしている中学からクリニックをしてほしいと打診があり、たまたま監督がいなかったのでキャプテンの僕が指導することになったんです。それを見ていたコーチが今後も指導してくれないかと声をかけて下さったのがきっかけです。

土日に通い、引退した冬からは毎日通っていました。高校レベルの練習を中学生にもさせていたので相当タフだったとは思いますが、自分を信じてついてきてくれるし、伝えることを真剣に受け止めてくれる。なんて遣り甲斐があるのだろうと、コーチという役割にはまっていきました。

 

 

――大学に進まれた後もコーチを続けていたそうですが、地元・沖縄を離れ、大阪のNKS-405で働くことになったのは何故ですか

小学生からの夢だった体育教師になるため山口県の大学に進学し、大学1年の時は月に一度、2年からは春季・夏季休暇に帰省して沖縄でコーチを続けました。教員免許は取りましたが、コーチを続けていく中で体育教師は自分のなりたいものではないと感じたんです。

就職活動ではスポーツに関わる仕事がしたいとジムのインストラクターを受けたりはしていたのですが、あまりピンときていなくて。そんな時に面接で東京に行った帰りに高校の同級生に会うため大阪によったんです。その友人に何がしたいのかと聞かれ、「バスケショップとかしたいな」と何気なく言ったら、知り合いを紹介してくれるという話になり連れてこられたのが今勤めているショップです。

 

 

――NKS-405に入社して1年で店長となり、5年目の昨年には代表取締役に就任されました。スピード出世の背景には何か特別な取り組みがあったのでしょうか

店長になった当時の店舗は、メーカー商品がずらりと並ぶ普通のショップでした。ショップの“色”がなく売上も伸びていかなくてマズイと思い、状況を打破するにはオリジナル商品を作るしかないと考えるようになりました。

接客していて常に感じていたことは、派手なショーツは市場にあまりないため、メーカー商品でも出すとすぐに売り切れるということ。「メーカーものに負けないくらい派手なオリジナルショーツを作ろう」と、自分でデザインしてサンプルを作り、社内会議で発表したのですが最初は反対されました。それでも、サンプルをブログに掲載したところ結構反響があったんです。お客様と接している実感としても絶対このショーツは売れると思っていたし、反対を押し切って販売したら即完売。やはり皆が望んでいたんだなと確信することが出来、売上は前年度の倍以上の実績をつくることが出来ました。当初は月に1つ新作を発表するといっていたのが、今では多いときで10商品は毎月出しています。常に新しいものを出していくことが重要ですね。

 

 

――ショップを軌道に乗せて経営者としての才能も発揮されている一方、一時やめていたコーチ業を再開され、小中学生対象のスクール『RISING SUN』を立ち上げた経緯を教えて下さい

2012年に教え子第1号からプロ選手(高松ファイブアローズ・岸本行央選手)が出たのですが、彼はいつも節目に必ず感謝のメールをくれるんです。そしてプロ入りが決まった時に、「どこかのチームで自分たちみたいな子をまた育ててほしい」というメールをくれました。よくお客様からコーチをして欲しいと頼まれることはあったのですが、本格的にもう一度やろうと思ったのは彼のその言葉がきっかけです。

RISING SUNでは「なぜバスケをするのか。自分のためにしているんだろう」といつも言っています。本気で取り組めないと僕の指導法と合わないので辞めていく子もいますが、コーチに頼りきりでは更に上手くはなれない。サポートして導くのが僕の役目だと思っているので指導料はいただいていません。

年齢も学校も違うメンバーが集まってチームスポーツをしているのだから、自分たちで話し合って上が下を育て、周りの人を助けながら上手くなるためにどうすべきかを一生懸命考え行動することを身に付けてほしい。そうすれば、技術の向上だけでなく人として一人前になれると考えています。

 

 

――最後に、経営者として指導者として、今後の夢や展望はありますか

ショップとしての夢は、NKS-405のオリジナル商品を日本でバスケしている皆が必ず1枚持っているくらいにしたいです。今日もわざわざ静岡からショップに足を運んで下さったお客様もいますが、ネット通販でしか買えない遠方のお客様とも顔を合わせて直接商品を届けたいとの思いから、年に一度は北海道や仙台、名古屋へも出張販売をしています。他店から販売したいとの声や大手ネット通販サイトからも出店の依頼があったりしますが、今もこれからも、オリジナル商品はうちの店舗と自社運営のECサイトでしか売りません。欲を出して色んなところで売ったからといってたくさん売れるのかどうか疑問です。どこで売っていて、どこから買うのか。NKS-405だからこそ作れる商品をNKS-405から買っていただく。そこまで含めてうちの商品の価値だと思っています。

指導者としては、大阪のレベルを上げたいと思っています。僕が学生の時は大阪といえば強豪というイメージが強かったのですが、今現在はそうとは言えない。昔のように大阪と対戦することが脅威となるようなレベルにまで突き上げられるよう、未来のエースプレーヤーを育てていきます。

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