スポーツ選手のセカンドキャリア。 人とのつながりが道を開く。

2017.01.14

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住友金属工業蹴球団の選手として活躍したのち、Jリーグ発足を機に鹿島アントラーズとプロ契約を結び、Jリーガーとしてデビューした眞中靖夫さん。その後セレッソ大阪、サンフレッチェ広島、横浜FCと活躍の場を移し、引退後はセレッソ大阪に所属して指導者としてのセカンドキャリアをスタートされました。2017年シーズンからは女子サッカークラブのコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の監督に就任。今回、そんな眞中さんに現役時代のお話から指導者の道に進まれた経緯、新監督としての抱負、スポーツ選手がセカンドキャリアの第一歩を踏み出す秘訣について伺いました。

 

――眞中さんはプロのサッカー選手として日本の第一線で活躍されてきました。現役時代のお話を伺えますか?

1989年に鹿島アントラーズの前身となる住友金属工業蹴球団に入団しました。当時はJSL(日本サッカークラブ)の2部で、サラリーマンをしながらサッカーをしていたんです。その後、Jリーグの発足にあわせて住友金属工業蹴球団は株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーに生まれ変わり、私は93年のJリーグ開幕と同時にプロ契約を結んでプレーすることになりました。

当時、蹴球団にはプロになれる実力のある選手、そうでない選手、あえてプロにならない選手などさまざまでしたが、私は「プロになりたい」とクラブに伝えたんです。クラブからは最初の1年間は社員としてプレーするよう言われましたが、プロに転向する意向を貫き、最終的にチームと話をしてプロ契約をいただきました。

 

――現役時代は突破力に優れ、強烈なシュートを放つFWとして圧倒的な存在感を示されました。セレッソ大阪時代の柏レイソル戦では3分間でハットトリックを達成され、Jリーグディビジョン1における1点目からの最短記録はいまも残っています。その後、サンフレッチェ広島、横浜FCと活躍の場を移されたのち、04年に引退を迎えられました。

最終的に引退を決めた背景には家族への思いがあります。チームが変わると生活拠点も変わりますよね。その都度、家族についてきてもらっていて負担を強いていたので、そろそろ楽にしたいと思って。

 

――引退後は指導者に転身され、05年からセレッソ大阪に所属されました。

現役時代にセレッソ大阪の梶野智さんから「引退を考えたら連絡してこい」と言われていたんです。具体的に引退を考え出したときにその言葉を思い出して連絡し、当時の強化部長から指導者の話をいただきました。「それなら」と引退を決意し、指導者の道に進むことにしました。

もっとも、現役時代から将来は指導者になりたいと考えていたんです。だから下準備として、セレッソ大阪の選手時代に指導者のライセンスを取得していました。近年、スポーツ選手のセカンドキャリアが注目されていますが、現役時代から将来を見据えた次の一手を模索しておくのは大切だと思いますよ。

 

――指導者としてのセカンドキャリアをスタートされて、選手時代とのギャップを感じられましたか?

大変なことは何にもなかったですよ。サッカーの仕事をいただいたことに感謝の思いでいっぱいでしたし、最初はとにかく目の前の仕事に一生懸命に取り組んでいました。

セレッソ大阪には11年間在籍しました。最初の3年間は普及部のスクール活動を行い、4年目から育成部に移って中学1年生を4年間担当しました。その後、1年間だけスクールに戻ったのち、出向で大阪学芸高等学校女子サッカー部で2年半監督を務めることになりました。

 

――大阪学芸高校時代に初めて女子サッカーの指導を経験されたわけですね。女子の指導で難しかった点などはありますか?

女子チームの指導は大変だと耳にしたことがありますが、私はそうは思いませんでしたね。指導面でとくに意識していたのは、選手一人ひとりが持っている実力や能力を最大限に発揮させてあげること。高校の3年間でどこでも通用するレベルにまで引き上げるのは簡単ではないですが、指導者が選手のポテンシャルを見極めて、一人ひとりのベストを尽くさせてあげる指導は可能だと思っています。

 

――その後、神戸国際大学サッカー部監督を経て、2017年シーズンから女子サッカークラブのコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の監督を務めることになりました。今年は監督初年度となります。ぜひ目標をお聞かせください。

まずは1年で1部昇格、さらに中位、上位と上昇し続け、なでしこリーグ1部で常に優勝争いをできるようなチームをつくることです。

応援してくださるファンやサポーター、大阪・高槻のみなさんに感動してもらえたらうれしいですし、サッカーというスポーツ、スペランツァというチームを中心に地域の人たちが集まってくるような、そんな「合言葉」になっていければと思っています。

さらに引退した選手たちがOGとして帰ってこられるような、家族のような深い絆で結ばれたチームにしていきたいですね。

そのためには女性がサッカーに携わり続けられるような環境を選手、スタッフ、応援してくださるみなさんとともにつくっていかなければならない。1年や2年のスパンではなく、5年、10年の長期スパンで考える必要があるでしょう。女子サッカーから日本サッカー界を本気で変える、その気概で取り組んでいきます。

 

――最後に1点、今後も多くのアスリートが引退を迎え、セカンドキャリアをスタートすることになります。引退を考えているアスリートにアドバイスやメッセージをお願いします。

人とのつながりを大切にすることですね。私自身も現役時代のつながりがあったからこそ、セレッソ大阪で指導者としての新たな人生をスタートさせることができました。人とのつながりが広がれば広がるほど情報がたくさん入ってきますから。これはスポーツに限らず、社会のすべてに当てはまる原則だと思いますよ。

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