岡山一成が考えるワンポイントキャリア【第5回】
引退を間近で見届けた者(前編)

2017.03.31

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「足首が動いてくれるなら、何だってする。本当にこのロックを解いてくれる鍵があるなら、いくらでも出すよ。」

 

川崎フロンターレの闘将、鬼木さん(現、川崎フロンターレ監督)が愚痴しか出ない日々を何年も費やしていた。

 

サッカー選手を長年やっていて、足首がキレイな選手は滅多にいない。捻挫などを繰り返していくなかで、足首の骨が変形したり、欠けたりする。丸くあるべきのくるぶしの骨が三角に変形して、尖った先端が神経を突いたり、欠けた骨のカケラが骨と靭帯の隙間に入り込んでズレ動き、ネズミという症状が発症したりする。俺も、足首にネズミが潜んでいる。

 

「岡山選手、ここら辺りの破片のネズミが暴れないように願うしかないですね。」

 

毎年、メディカルチェックを終えて、足首のレントゲンを見ながらチームドクターから言われるのも、恒例行事となっていた。それは、どのチームに行っても、変わることはなかった。

 

20年前に足首を骨折した。欠けた骨が除去されないまま、不発弾のように潜伏している。症状がどうしようもなくなったら、手術しなければならない。幸いなことに、俺はまだ足首は手術してない。

 

 

川崎フロンターレに2002年に移籍した。移籍する際に気をつけているのは、そのチームのリーダー格は誰なのかと推し量るようにしている。鬼木さんと対面した時に、ああ、この人がこのチームのリーダーだなと自然に受け入れた。言葉で言うと陳腐になってしまうが、自信に溢れていて、チームの中心と自覚している選手はオーラを纏う。

 

オーラというと漫画の世界と思われて、オツムがと疑われると分かっているけど、それ以外の適当な言葉がない。初めてオーラを身に纏う人を感じたのが、初芝橋本高校時代の1学年先輩の吉原宏太さん。俺の人生の道しるべになってくれた偉大な先輩。コウタさんの話を書き出したら、止まらなくなるからまた今度。

 

その次にオーラを感じたのが、高校選手権の優秀選手の合宿で出会った面々。すでにJリーグ入りを決めていた3年生のスター達は名前を挙げたらきりがないから、同い年の2年生で挙げると、中村俊輔、北嶋秀朗、古賀正紘、後のチームメイトになる3人から放たれたオーラはほんまに眩しかった。そして、俺がボール拾いに明け暮れた1年生で選出された、南雄太と本山雅志はバケモノに感じた。

 

この優秀選抜の話も止まらなくなるから、また今度(笑)。

 

そして、何となく感じていたオーラを確固たるものだと確信を持てるようになったのが、マリノスに入団してから。その当時の井原正巳、川口能活、城彰二、小村徳男の代表選手。

 

やっぱり、マリノスでキャリアをスタートすることが出来た1番の財産は、初っ端に代表とはなんぞやと身近で接しさせてもらえたこと。その後、代表になる俊輔や松田直樹などですら、その当時は纏っていなかったオーラを、その4人からまざまざと見せてもらうことが出来た。その上、俊輔やマツ君がどのような階段を登っていったか、代表選手としてのオーラを身に纏うようになったかを間近でつぶさに観察出来たこと。これらの経験があったから、その後の移籍したチームで出会う選手。セレッソでは大久保嘉人、フロンターレでは中村憲剛、レイソルでは李忠成、ベガルタでは関口訓充、コンサドーレでは山下達也。いち早く代表のオーラを見極めて、それぞれの選手が代表なんてと謙遜するなか、アドバイスした自負がある。

 

俺自身がそのオーラを纏うことは出来なかったけど…、

 

なんやオーラについて書いたけど、1番強くて、もう2度対峙したくない、その名前すら聞きたくないし、言いたくない、世紀末覇者ラオウがごとく俺の心を踏み潰していき、恐怖を植えつけたオーラを纏っていたのはフッキやった。

 

 

話を鬼木さんに戻そう。

 

サッカーが特別に上手いわけでもなく、フィジカル、身長のハンデ(168㎝)があるなかで、オニさんは川崎フロンターレのキャプテンとして、チームを鼓舞して、統率していた。

 

だけど、持病として抱えていた足首のネズミが発症してからは、みるみると精悍な顔つきが陰っていった。

 

オニさんが引退を決意する3年前の出来事。

 

この話の続きは次回にする。

 

 

オニさんの章としては、これから原稿を書いていくけど、開幕戦で鬼木監督として、初勝利をあげられたことを本当に嬉しく思う。

 

オニさんがどんな気持ちで、どれだけの悔しさを胸に引退したかを間近で見届けた者として、10年前に言っていたことを有言実行することの凄さ。

 

そこらへんをリアルに書いていきたいと思う。

 

岡山一成(おかやま・かずなり)

1978年4月24日生まれ。大阪府堺市出身。

初芝橋本高卒業後、97年横浜マリノスに入団。打点の高いヘディングを武器にデビュー戦から3試合連続ゴールを記録して一気に頭角を現す。大宮アルディージャ、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、浦項スティーラーズ(韓国・Kリーグ)、コンサドーレ札幌と渡り歩き、13年8月から奈良クラブ(JFL)に所属。川崎フロンターレ時代に始めた試合後のマイクパフォーマンス“岡山劇場”がサポーター人気を集め、その後現在まで継続。14年4月24日には自身の著者「岡山劇場」を出版。
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