岡山一成が考えるワンポイントキャリア【第1回】
ファーストキャリアとセカンドキャリアのはざまで

2017.02.24

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世間的にも認知されつつあるセカンドキャリアという言葉。よくテレビで取り上げられるのが、戦力外になったプロ野球選手を追いかけて、トライアウトや家族との絆を描いたドキュメンタリー番組。契約更改が行なわれる時期と相まって、いろいろなプロ野球界の縮図が見えて、俺も見入ってしまう。

 

新たなチームから声がかかる選手もいれば、野球から足を洗い、新たな世界に飛び込む人など、さまざまな人生を目の当たりにして、どこかで、自分と重ねてしまう部分もある。

俺も1度だけトライアウトを受けたことがある。結果は、知らない番号からかかってくることはなく、何一つ進展もなかった。だからと言って、受けた意味がないとは思わない。むしろ、経験をして良かったと言える。2度と経験したくはないけど…。

 

話しがどんどん脱線していきそうだから、本線に戻そう。

 

俺は今まで、サッカー選手を終えた先にセカンドキャリアが訪れて、今までのプロの世界とは全く違うキャリアをどう自分に馴染ませないといけないかと考えていた。

こんな会話をいろんな人と繰り広げてきた。

 

「まだやれるやん?サッカー続けへんの?」

 

「もう充分やったよ。まだやりたいけど、潮時やろう。これからは家族の為に働くよ。オカは俺の分も頑張ってな。」

 

体はまだまだやれても、違う理由で引退する場合が見受けられた。

 

選手でやれるのが良くて10年。30代後半になると、よほどの1流選手以外は、その後の人生を考えては憂鬱な気分になる。サッカーしかしてこなかったコンプレックスがあるから。

 

このなかで分類されるのが大卒と高卒。

ただ、大卒でも、教員免許を持っているかどうかで、大きく違う。

俺も、もし教員免許を持っていたら、先生の道を志してた。公立高校のサッカー部の顧問になり、選手権を負けた後のロッカールームで、「いいか、お前達の人生はこれからだ。これから、どんな人生を歩むかを先生は楽しみにしている。今まで先生についてきてくれて、本当にありがとう。」

 

こんな熱血先生に憧れる。だけど、現実に、この歳で、大学に入り、教員免許を取りに行く程の情熱も根気もない。高校生の頃は大学なんか行ったら、サッカー選手としてどんどん取り残されると、大学の推薦を全て断わったくせに。

 

現実に話を戻そう。

 

Jリーガーとして、ある程度選手をやってきた人達の、セカンドキャリアの1番人気は、所属したチームの中に入ること。しかし、誰にでも用意されるポストではなく、いかにそのチームに貢献したかなどと、その年の人員の枠などが影響する。だから、戦力外通告と引き換えにクラブスタッフの提示を受けるかなどが、30歳を過ぎた選手にとっては、チームがどんな風に思ってくれてるかを測るバロメーターになる。その際に必ず言われるのが、他との兼ね合いがあるから、出来るだけ早く決めて欲しい。

 

そのタイミングがホーム最終戦で、引退セレモニーに関連する。

 

チームとしては、功労者を誠意をもって対応したと、サポーターなどに示せるように、選手とチーム双方が納得して、引退したという雰囲気を醸し出したい。

 

他のチームへの移籍を模索したなか、仕方がなく、チームスタッフになったのでなく、チームと共にこれからも生きていくとの忠誠心を示してもらいたいと、暗に迫ってくる部分はある。選手として、老体に鞭を打って、他のチームで数年やった先に、その後の人生を不安に晒すことより、ここらを潮時として、いろんな想いを飲み込んで引退を決断する選手を他人がどうこう言える訳がない。

 

そうした選手だった仲間が、引退して指導者やクラブスタッフで新たな地位を構築しているのを俺は選手の立場で眺めつづけている。

 

引退した直後の仲間は言う。

 

「選手でやれるのが1番幸せだよ。」

 

引退して数年たった、昔の仲間は言う。

 

「指導者やクラブスタッフもやりがいがあって、毎日が勉強だよ。」

いつからか、かつての仲間を眩しく見えるようになっていた。

 

 

今回、どうしてこんな文を書いたかと言うと、いつまでも選手をやり続けると思っていたけど、否応なく迫り来るセカンドキャリアというものが現実感を帯びてきている。それらを考えさせられる事柄が、次々とリアルに身の上に起こったのを、自分の気持ちを整理する意味を込めて文章に綴っていこうと思ったから。

 

ファーストキャリアとセカンドキャリアのはざまでいろいろ体験している俺自身のワンポイントキャリア。

 

次回のコラムで詳しく書いていくから、今回はここまで。      つづく。

 

岡山一成(おかやま・かずなり)

1978年4月24日生まれ。大阪府堺市出身。

初芝橋本高卒業後、97年横浜マリノスに入団。打点の高いヘディングを武器にデビュー戦から3試合連続ゴールを記録して一気に頭角を現す。大宮アルディージャ、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、浦項スティーラーズ(韓国・Kリーグ)、コンサドーレ札幌と渡り歩き、13年8月から奈良クラブ(JFL)に所属。川崎フロンターレ時代に始めた試合後のマイクパフォーマンス“岡山劇場”がサポーター人気を集め、その後現在まで継続。14年4月24日には自身の著者「岡山劇場」を出版。
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