平成医療学園教員 兼 追手門学院大学ラグビー部スポーツトレーナー 益賢明 氏

2017.02.10

平成医療学園教員 兼 追手門学院大学ラグビー部スポーツトレーナー 益賢明 氏の写真

人のご縁でいただいた環境で全力を尽くすのがモットー。

目標は、スポーツトレーナーの社会的地位を高めること。

 

柔道整復師の資格を持つ恩師に憧れて、平成医療学園に入学した益賢明さん。専門学校卒業後は学園に入職して職員として働く一方、ガンバ大阪のアカデミーでスポーツトレーナーとしての第一歩を踏み出されました。現在は平成医療学園の教員として教鞭をとりながら、追手門学院大学ラグビー部のスポーツトレーナーをされています。そんな益さんにスポーツトレーナーの仕事内容や働く喜び、今後の目標などについて伺いました。

 

――いま益さんは柔道整復師や鍼灸師を育成する平成医療学園の教員とスポーツトレーナーの二足のわらじで活躍されています。この道に進まれたきっかけを教えてもらってよろしいですか?

高校時代に所属していた柔道部の恩師の影響ですね。その恩師は指導者であると同時に柔道整復師でもあったんです。柔道も強いし体も治せる。ドラム缶みたいな体の人でしたけど(笑)、「俺もこんな先生のようになりたい!」と憧れて、高校卒業後に平成医療学園専門学校に進学したんです。

 

卒業後は学園に入職し、柔道整復師の資格を取得しました。当時は教員の手伝い、いわゆる助手のような役割で、学校運営に関わるあらゆる仕事をしていましたね。そして下積みを2年ほど続けたとき、「トレーナーをやってみいひんか」と上司から声をかけていただいたんです。

 

派遣先はガンバ大阪のジュニアユース(アカデミー)です。平成医療学園はガンバ大阪のスポンサーで、スポーツトレーナーをチームに派遣しているんです。こうして私のスポーツトレーナーとしてのキャリアがスタートすることになりました。

 

 

――ガンバ大阪ではどのような仕事を?

最初の3年間はやはり下積みが中心でした。いま思うと相当ハードでしたが、それ以上に充実した日々でしたね。仕事が終わっても、先輩トレーナーの指導や処置を見て自分のものにしようと必死でした。

 

現場で働く一方で、柔道整復師専科教員の免許を取るための講習にも出るようになりました。これは文字どおり柔道整復師を目指す人を教えるための教員免許で、所属先の平成医療学園からも取得するよう言われていたんです。いずれ教壇に立つためには必要なので、学園に入職して7年目、ガンバ大阪に派遣されて5年目に講習に参加させてもらい、柔道整復師専科教員免許を取得しました。

 

 

――資格の話をもう少し伺いたいと思います。益さんは柔道整復師の資格を取ってスポーツトレーナーとして働かれるようになりました。スポーツトレーナーを目指す人は、一般にどのような資格が必要なのでしょうか?

まず法律的には、スポーツトレーナーになるために求められる免許や資格はありません。しかし現場では医療的な知識や技術が求められるわけですから、現実的には資格の取得は必須です。

 

では具体的にどのような資格なのかといえば、「医療系の国家資格」か「スポーツトレーナーの資格」のいずれか、もしくは両方です。

 

このうち、現在活躍中のスポーツトレーナーは柔道整復師や鍼灸師、理学療法士といった医療系の国家資格を持つ人が多いですね。というのも日本では「スポーツトレーナー」という職業の社会的な認知が不十分で、医療系の国家資格を持っていなければ現場でポジションを確立するのが難しいという現実があるんです。

 

スポーツトレーナーの資格で最もメジャーなのは日本体育協会の公認アスレティックトレーナー(AT)ですが、この資格は高度でひと握りの人しか取得できません。結果として、現場で必須となる医療系の国家資格を取ってスポーツトレーナーを目指すのが一般的になっています。

 

 

――ありがとうございます。ではスポーツトレーナーの仕事の内容を教えてもらっていいでしょうか。

細かく分けるとたくさんあるのですが、大別すると「予防」「応急処置」「リハビリ」の3つです。

 

まず「予防」とは、怪我をしないための指導です。ストレッチの指導をしたり、筋力トレーニングメニューをつくったり、あるいは選手が試合で最高のパフォーマンスを発揮できるよう、コンディションを調整するための指導なども行います。

 

次に「応急処置」とは、練習中や試合中に怪我をした選手をサポートすることです。Jリーグの試合で選手が倒れた際に、ベンチから荷物を持って駆け寄っている人たちがいますよね。多くの場合、チームドクターとスポーツトレーナーが選手のもとに行って怪我の状態を確認し、応急処置をしたり、プレーを続行できるかどうかの判断を下したりしています。そのためスポーツトレーナーには臨機応変の対応力や判断力が求められます。

 

最後の「リハビリ」とは、怪我をして戦線離脱中の選手が試合に復帰するまでのサポートです。たとえば練習中に足首を捻挫した場合、その選手はスポーツトレーナーに引き渡されます。スポーツトレーナーは怪我をした選手を病院に連れて行き、翌日の練習以降、リハビリメニューを立ててマンツーマンで指導し、1日でも早く復帰できるようサポートしていきます。

 

選手は怪我をすると、メンタル面でサポートが必要になるケースもあります。スポーツトレーナーには、落ち込んでいる彼ら・彼女らの気持ちを奮い立たせ、1日でも早く復帰できるよう二人三脚で歩んでいく人間力も求められますね。

 

――ガンバ大阪で7年間、Jリーガーの卵を支える仕事をされたのち、現在は午前中は母校の教員、午後は追手門学院大学の男女ラグビー部のスポーツトレーナーとして働かれています。

いま追手門学院大学はスポーツを強化していて、各チームのメディカル系のサポートにも力を入れ始めています。追手門学院大もガンバ大阪のスポンサーという関係もあって、ガンバ大阪でトレーナーをしていた私にお声がけいただいたんです。

 

ラグビーに関わり始めて、サッカーとは異なるスポーツトレーナーの役割を実感しましたね。というのもサッカーの場合、試合中はベンチに待機し、選手が倒れた際にコート内に入って応急処置を施します。一方のラグビーの場合、試合中でもフィールド内に出入り自由なんです。私たちはフィールドの横で選手たちと同調するように動き回り、選手が倒れると敵味方関係なく、一番近くにいるスポーツトレーナーが応急処置をしなければなりません。

 

スポーツトレーナーは、まさに勝利に向けたひとつのパーツとして試合に参加しているんです。私たちの応急処置や判断の良し悪しで試合の流れが変わることもありますからプレッシャーは相当で、正直な話、緊張感で吐きそうになっています(笑)。

 

――それでも続けたいと思う魅力がスポーツトレーナーの仕事にはあるんですね?

正直、99%は大変な仕事ですよ。でも残りの1%の喜びが私たちを虜にするんです。その喜びとは何かといったら、サポートしているチームが日本一になったり、怪我をした選手が試合に復帰したりすることです。365日ずっと一緒にいる選手たちの喜ぶ姿を一度でも見てしまうと、「またこの喜びを味わいたい!」と思ってしまうんです。

 

その意味でいえばチームスポーツは素晴らしいですね。私は柔道という個人スポーツをしていましたが、サッカーやラグビーのようなチームスポーツのトレーナーになると、試合そのものやチーム運営に関わる一員になれるんです。だからめちゃくちゃ面白いですね。

 

 

――最後に益さんの今後の目標をお聞かせください。

実は将来の目標を立てるのは得意ではありません。それよりもご縁でいただいた環境、置かれた場所で努力して結果を出せば、また次につながると思ってやってきました。ガンバ大阪のアカデミーでスポーツトレーナーの仕事に携われたのも、追手門学院大に来たのも人とのご縁がきっかけですから。そのつながりを今後も大事にしたいと思っています。

 

その上で目標といえば……教員としては後輩トレーナーを育てることですかね。スポーツトレーナーを目指す人は多いですが、きつい仕事に根を上げて諦めてしまう人が少なくありません。そんな中で前向きにがんばる後輩がいると、早く一人前に育てたいと指導に熱が入ります。

 

スポーツトレーナーとしての目標は、この仕事の社会的地位を高めることです。スポーツトレーナーの仕事を多くの人に知ってもらい、現場で活躍できるトレーナーが一人でも増えるような環境をつくっていければと思っています。

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