岡山一成が考えるワンポイントキャリア【第3回】
引退する理由、続ける理由

2017.03.10

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ムジカラボという会社の説明を延々と書いていくと、宣伝みたいになっていくから、本当はいっぱい書きたいけど、簡単に書く(笑)。

 

プロ、アマ150チームにグッズを製作して卸している。

チーム名でいうと、Jリーグでは、川崎フロンターレやジュビロ磐田。プロ野球では、ソフトバンクホークスや横浜DeNAベースターズなど。チームだけではなく、大相撲、ゴルフ、体操、フェンシングなどの協会と取引している。

 

何が凄いかというと、昔からある会社でなく、6年前に、何のコネも実績も経験もない萩原さんが、切り拓いてここまでの会社にしたこと。

 

これ以上書くと太鼓持ち的な記事だと思われるから、ここら辺にしとく。

 

だけど、ムジカラボの萩原さんによって、おもいっきりサッカーに集中出来る環境を用意してもらい、一般社会というものが、どんなものかを教えて貰えた。

だから、このコラムのファンはムジカラボのホームページをちょっとでもいいから、覗いて欲しい。

http://musica-lab.co.jp/

話しを戻そう。

 

どうして、ムジカラボとアドバイザー契約を結ぶことになったのかを。

 

奈良クラブの入団の時期に遡る。

 

10年以上Jリーガーをやってきた選手が引退する理由はいくつかある。

 

1番は持病。

 

膝、腰、足首。

 

この3つのうちひとつでも該当すれば、サッカーが楽しくない。おもいっきりボールを蹴れずに、常に頭のなかで不安やイライラが募る。俺は膝を痛め、手術を経験したけど、サッカーを辞めたくなった。そんな俺がどうして、今は痛くなく、おもいっきりサッカーが出来ているか?答えは簡単。休んだから。

 

人間の身体は無理したらガタがくるけど、休んだら、劇的に良くなる。

 

だから、引退するときは、こんな痛みを抱えては無理やと悟るのに、半年くらい、サッカーをやらんかったら、身体が軽い。また、やりたいなと思う。

 

 

2番は衰えからくるプライドの喪失。

 

これは本当に抗うことが出来ない。

 

俺も先輩達からさんざん言われてきた。

 

30歳からどんどん衰えていくと。

 

20代で聞かされても、ホンマかなと半信半疑やったけど、ドンピシャやった。

 

30歳になりたての頃は認めたくなかったけど、老いというものは残酷で、心の自信も奪っていく。

 

同期の中村俊輔みたいに、一線級で活躍している存在もいるけど、1997年に入団したほとんどの選手は引退しているのが現状。

 

俊輔と1回だけ引退についての考えを話し合った。

地域リーグの奈良クラブで選手を続ける意義や想いを伝え、もう一度Jリーガーになるまで辞めないと告げた。オカらしいなと理解してくれた。

 

「シュンは引退について漠然と考えてん?」

 

そんなん考えたことないと返されると思っていたのに、

「そりゃ俺だって、考えるよ。昔に比べると…。だけど、俺は必要とされてる限りやってたい。もっと上手くなれると信じてるし、サッカー以上に楽しいことなんてないじゃん。ただ、プロとして、ちゃんと評価されないとイヤだよ。だから、これぐらい出してくれれば、本気度が分かる。期待されてる分、プレーで返そうと思えるし。」

 

俊輔の考えるこれぐらいは、中村俊輔を獲れるなら、どのチームも手を挙げる金額やった。俊輔にとっての本気度を測る物差しは、決してお金ではなく、必要とされる熱意なんだと感じた。それが3年前の出来事。

 

「絶対にシュンより長く現役でいるからな、引退試合に招待しろよ。」

 

20年前と変わらずの視線を向けながら、「どんどん同年代がいなくなってるから、オカでも続けてるのは、少しは励みになる。」

 

なんやかんやでも、同期やから(笑)。

 

同い年で、俺がスタメンで、俊輔がベンチやった時もあった。だけど、遥か彼方の高みに登っていく俊輔を見ながら、尊敬してやまない部分と、どこかで負けたくないと思う部分もあった。最後の意地として、俊輔の引退を現役選手として、見送りたい。願わくば同じタイミングで引退したいとも思っている。俊輔は俺のこと眼中にないやろうけど(笑)。

 

あすリートhttp://www.ytv.co.jp/athlete/backnum/index.html

 

この番組内で俊輔に出演してもらった。

 

その際に、放送されなかったけど、俺に対してのインタビューを見て、俺自身が気付かされたことがたくさんあった。いつか、書こうと思う。

 

 

 

 

岡山一成(おかやま・かずなり)

1978年4月24日生まれ。大阪府堺市出身。

初芝橋本高卒業後、97年横浜マリノスに入団。打点の高いヘディングを武器にデビュー戦から3試合連続ゴールを記録して一気に頭角を現す。大宮アルディージャ、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、川崎フロンターレ、アビスパ福岡、柏レイソル、ベガルタ仙台、浦項スティーラーズ(韓国・Kリーグ)、コンサドーレ札幌と渡り歩き、13年8月から奈良クラブ(JFL)に所属。川崎フロンターレ時代に始めた試合後のマイクパフォーマンス“岡山劇場”がサポーター人気を集め、その後現在まで継続。14年4月24日には自身の著者「岡山劇場」を出版。
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